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「どっちつかず」に気づくまで
─軽度障害者メーリングリスト立ちあげへの道のり─

田垣正晋

1.僕の障害

僕は、「分娩麻痺」といって生まれたときにひっかかって右手がほとんど動きません。身障手帳では3級です。

自分のことを「障害者です」というには、いまだに遠慮があります。それは「障害者」という呼び方がネガティブだからではなく、「障害者」という言葉から想像するようなイメージと自分が少しあわないからです。その一方で「健常者です」というにも遠慮があります。学生時代の体育や楽器の演奏など、27年間の人生のなかでできないことは確かにあるのです。でも、同年代の友達に「田垣さんのことは障害者と思っていませんよ」と笑顔でいわれたときに、うれしく思いながらも「おいおい、僕の手が悪いのはいったいどうなるの」と思いました。障害者と言いきるにも、健常者と言いきるにも、どちらにも遠慮があります。

2.学生時代

(1)小中高

最初は、体育、図画工作、家庭科など、両手を使わないといけない教科では「できる範囲で一生懸命やればいい」と思っていました。ところが「がんばってもうまくできないことは最初からしない」という方針にかえました。学校の先生には「手が悪くてもできる範囲で一生懸命がんばったらいいんだ」とよくいわれましたけれど、裏を返せば、自分がどれだけできないをまのあたりにさせられるのです。「人と比べてちゃんとできないようなことはもうするのはやめよう」と思いました。ただし、一つのことをしないことによって、他のできることにも取り組まなくなるのではないかと思っていたので、自分の方針に自信はもちきれていませんでした。

障害のカミングアウトのジレンマについてです。障害のことをいわなかったら無理難題に直面させられます。逆に右手が悪いといってしまうと過剰に反応されたり、できることまでできないと思われたりします。

例えば、今日この机とか椅子を運ぶときに、「手が悪いから運べないですよ」といったら他の人が手伝ってくれると思います。だけど、いうことによって「手が悪いので気の毒ですね」と過剰な反応をされたり、僕が自分でできることにも手を貸してもらったりします。そういう反応されるのが嫌だから、手が悪いといいにくいのです。

一方、黙っていれば「あいつは男なのに、何で机運びを手伝わないのか」と見られてしまうのです。だから「手が悪いです」と、どこでどういったらいいのか悩みます。特に初対面の人と食事をして、少し盛り上がっているところでは言いづらいです。いってしまうとその場をしらけさしてしまうからです。こういうときには黙っています。

(2)大学・大学院

「障害者だから福祉にいった」というふうに思われたくなかったのですけれど、結果として社会福祉の方にいきました。けれど、僕が体験したしんどさと、大学の授業は全然あいませんでした。僕のリアリティとあいませんでした。

大学では、遊ぶ時間がたくさんありました。でも「障害者」の友人とはそれほど遊びませんでした。逆にどこも悪くない「健常者」の友人と遊ぶとき、やはりできないことがありました。

車椅子の人とバトミントンやったり、一緒にでかけたりして、「重度」の人と関っていくうちに「ひょっとすると障害が軽いからこそこんな悩みがあるんじゃないのかな」と考えはじめました。そこで色んなまわりの人に「軽いから、できる範囲でがんばればいいのか、最初からやらない方がいいのかということを迷う」という話をしていました。

4〜5年前に神戸で肢体障害者の人たちが集まる会がありました。僕はその集会にいくのが本当は気がすすみませんでした。なぜかというと、手が悪い僕が障害者のところにいくと、手が悪いことを公言しているようなものだからです。結局いってみると、軽度障害者の分科会があったのです。それを主催していたのが今日の司会の門田さんです。僕がなんとなく思っていたことと、門田さんが思っていたことがあいました。それで今後何かしていきましょうと話しました。

3.メーリングリストの立ちあげ

メーリングリストを立ちあげたのは、悩みを悩みとして語る場所がほしかったからです。それまでは悩みをいうと、「それは考えすぎだ」、「意識しすぎだ」、「あなたは障害が軽いのだから重い人のために役立つようにしなくちゃいけない。だから軽いから悩みがあるなんていっちゃだめです」といわれました。また「あなたは障害が受容できていませんね」といわれたこともあります。

障害者団体に「軽度の話を取りあげて下さい。いくらでも協力しますよ」といったのですけど、いっこうに取りあげてもらえなかったです。そこで99年の秋にメーリングリストを作りました。最初はまわりの人に呼びかけたので、メンバーは20人弱でした。最初の半年位はメールが本当に少なく、1日1件あるかないかでした。

メーリングリストへの問い合わせには、「『障害が軽い』から悩んじゃいけないと思ったけれども、しょうもない悩みと思わないで堂々と悩みとして人にいっていったらいいのですね」とよく書いてあります。これを読んだとき、メーリングリストを作ってよかったと思いました。去年の夏にメーリングリストのオフ会をして、関西の人10人くらいが京都に集まって学校時代の体験を語りあったのです。体育や家庭科の授業の様子についてです。そこでメーリングリストだけではなく、ホームページ作ることになりました。特に中学生や高校生で同じような障害を持っている人たちのためになればいいと思ったからです。オフ会をした去年の7月、シンポジウムをした10月からメールが増えました。

メーリングリストを通じて色々な「軽度」があるということを実感させられました。メーリングリスト作った当初から「軽度」の基準を決めていませんでした。障害者手帳の有無は関係ないと案内に書いていました。当初から、頭では、何が軽度かなって簡単には決められないなってわかっていたからです。今となっては、「本当に決められへんわ」と実感させられています。障害者手帳を持ってないような視覚障害の人、難病の人などなどです。ゆえに「軽度」を一概に決められません。

また、障害者と健常者という単純な区分はできないことを実感しました。「障害」と「健常」の線を引くことには疑問です。でもそれを単に「みんな人間なのだから」というふうな、ちょっとおしきせな理念からではなくて、生の体験として実感させられました。