障害者手帳を持っている人は、一般の学生が行なう就職活動と、障害者雇用枠が利用できます。比較的軽い障害者であればどちらからでもアクセスできるので、私は両方を使い活動をしました。障害者雇用枠は就職活動の開始時期が一般の就職活動よりもかなり遅いので、はじめは一般雇用枠の方で就職活動を行ない、途中から障害者雇用枠の就職活動を平行してやるという形をとりました。
二つともの就職活動を終えて、それぞれに感じることがあったのでそれぞれ分けて話をしていきたいと思います。
いつ自分の障害のことを話せばいいのか、タイミングに非常にためらいを感じていました。就職ガイダンスのときに、人事の方に障害のことを申告すると、「受けて下さい」という会社もあるけれども、その反面「うちではちょっと無理です」と言われることもありました。受けることさえもできないというのは、自分の能力・人格とは全くべつの次元での判断によるもので、そこから先へは進めないということになります。
そういうことが何度かあって、自分の能力がどこまでいけるのかを試してみたい気になり、障害のことを言わずに就職活動をした時期がありました。そうすると、最終選考まで残ったりすることがありました。
最終選考の面接のときに障害のことを説明し、弱視によってできないこと、例えば「車の運転ができない」とか、「普通の方と同じスピードで事務処理をするために、こういう補助機材がほしい」などということを説明すると、障害のことを理由に落とされたこともありました。もちろん言わないで入社してしまうこともできましたが、入ってから結局自分が苦しい思いをするような気がして、どうせ働くんだったら自分の納得した環境で働きたいと思っていたこともあり、いつ言ったらいいのか、すごく自分のなかでためらいがありました。
一般の就職活動では先に述べたようなことがあって、じゃぁ障害者枠の方ではスムーズに進むことができたのかというとそうでもなかったんです。
障害者雇用枠の方で就職活動をしてみると、重度の人と比べると障害が軽い分すごく軽視されました。日常動作や通勤とかのことをきかれ大きな問題がないと判断されると、「じゃあ、問題ないですね」と言われて流されてしまうんです。それで、そのまま進むと、障害のことは理解されずせっかく障害者枠で入っても、のちのち自分で自分の首をしめることになるのではないかと感じました。こういう状態をまのあたりにし過剰な判断に怖さを実感しました。
私が障害者雇用枠の方で気をつけていたのは、「できることとできないことの線引き」をちゃんと提示しようということでした。せっかく障害者雇用枠を使うのであれば、自分がベストだと思う環境で働きたいという思いから、私が提示する条件をのんでくれる会社でしか働かないと思っていました。よりよい環境で働くために、できることだけを主張するんじゃなくて、「これは苦手な作業です」ということをしっかりだした上で「でも、こういう補助機材を使えば、苦手な作業はクリアできます」ということを労力を裂いて説明することを大切にしていました。
一般の就職活動では障害の告白のタイミングにためらいを感じ、障害者枠の就職活動では障害のことが流されぎみになったりと、両方の就職活動に何か自分のなかでひっかかるものがあってしっくりこなくて「なんなんだろう、これ」と思っていました。今から思うと、健常者でもなくてかなりの重度障害者でもないことから、どっちにもつけない私は違和感を感じていたのだろうと思います。
余談になりますが、障害者雇用枠の方で本当に言われた面白い話があります。
障害者雇用枠だから、もちろん来ているのは障害者であるということはわかっているのでそのことを告白するストレスはありませんでした。とある会社を受けたとき、障害者手帳のコピーと、配慮してほしいことを項目出ししている紙を机の上に提示しているのに、かなり長い間会話をしてから「ところで君、どこが悪いの?」と言われて、「えっ?今どういうつもりでしゃべってたんだろう」と思いつつ、「目が悪いんですけど、そこに書いてあります」っていったら、「ほんまに見えてないの?」と言われたりして、すごく障害のことを軽視されるんです。「特に問題なし、大丈夫、大丈夫」って感じでかわされてしまいがちでした。
会社が決まって、初出社という日がやってきました。
誰でも新しい環境に初めて飛び込むときってすごく緊張しますよね。ただでさえ緊張するのに、その上ハンディのこともあるからもっと緊張するんです。
障害のことをどのように伝えていけばよいのか考えました。同じ部署で働く人たちには障害のことを説明しておいた方がよいだろうという思いから、働きはじめる前から色々と考えた結果、私は弱視者問題研究会から発行されている「私の見え方紹介カード」を用意しました。このなかには日常のあらゆる動作の質問が載っていて、自分の見え方に合わせて質問に答えていくというものです。色んな動作の場面が載っていて例えば、「裸眼で見える字の大きさは以下のどれですか」とか、「何センチ前で相手の顔が見えますか」とか、「昼間に信号の色が判断できますか」などけっこう細かいところまで載っています。
これを何部かコピーして、初出社の日に持っていきました。障害のことは同じ部署で一緒に働くパートナーとなる人たちにははじめのうちにいっておいた方がよいだろうと思ったので、挨拶が終わったあと勇気をだして「私、目が悪いんですけど、お時間のあるときでいいので読んで下さい」といって用意してきたカードを渡しました。みんなその場でパラパラと目を通してくれ、「う〜ん、何かようわからんけど、まあ、ええんちゃう」とか言われて、「まあ、そのうちわからないことは聞くし、なんとかなるだろう」と言われてしまいました。
もちろん障害者とは全く無縁の人たちばかりですから、紙で見てもいまいちピンとこないというのもわかります。「わからないことがあったらそのときそのときで片つけていけばいいんだろうし、まあ、たいして気にしない」というスタンスで、私としては間が抜けた感じで、意外と思ったよりはスムーズに会社生活をはじめることができました。
先ほど秋風さんが、いじめにあったという話をされましたが、私は全くそれと正反対でした。弱視であることで何か仕事に制限を受けたり、軽い嫌がらせを受けたということは一切なく、まわりの人間はいい意味で私の障害に対して無関心だと思っています。
私に全く関心がなくてほったらかされているのではなく、成果主義の職場では、私が行なう仕事に対しての評価がなされ障害のことはどうでもよいという感じ。だから私は障害のことを気にすることなく自由に仕事が行なえ、苦手なことは「やってほしい」といいやすい環境にあります。まわりの人間は私の障害に対しては「ただ、それだけのこと、仕事の成果が上がっていればいい」というスタンスです。
この1年半をへて最近思っていることがあります。自分のなかでもうまくまとまっていないんできいてもらってもいまいちピンとこないかもしれませんが。
私は、民間企業で働いています。民間企業というのは、利益追求というのが最大の目的です。大きな会社になればなるほど、会社のなかでも一線に携わっている人間であればあるほど、利益追求という色が強くなってきます。民間企業のいいところは、認められたら自分がやりたいことに、それなりの資金をつぎ込んでどんどん仕事をやっていけるところです。でもその反面、その結果に対しての評価というのは非常にシビアなものがあります。
今、私は自分のなかで理想的な環境で満足のできる仕事内容で働いています。障害の有無に関わらず誰でも仕事上で自分が求めているものに対して一生懸命走りますよね。私も、労働時間的にはかなり働いてるほうだと思います。体的に「しんどいな」と思っても、自分の仕事が好きだし面白いので必死で走っているときがあります。
ふと「こんなに走ってていいんかなぁ」と思うことがあるんです。それは自分に障害があるから、それだけ必死で走っていると自分の体ににそれなりに負担をかけているわけです。私は目が悪いから、普通の健常者の人以上に負担がかかっていると思います。足とか手が悪い方だったら無理して使っているかもしれない。内部障害者の人だったら、身体を酷使したらひずみがくるかもしれない。自分的には全力で走りたいのに、恐怖感まではいかないけれど、「このまま走ってたらどうなるのかな」と思ったりするんです。自分がすごく好きな仕事、面白いと思っている仕事と、自分が抱えている障害との折り合いをつけていくのが難しいなと思っています。
民間企業で働いて、このメーリングリストに入ってる方とオフ会でそういう話をしたことがあるんですが、その方もやはり「自分のなかでそういう折り合いをつけていくのがすごい難しい」とおっしゃっていました。
完全にできないというんだったら諦めもつくと思うんですが、多少無理をしてやろうと思ったらできる。やれば、健常者ほど楽してやってないかもしれないけど、できるからどんどん進んでいってしまう。「でもそれでいいのかな」と思うことがあります。最近、このようなことをふと考えることがあります。
障害者雇用枠は障害者手帳を交付されている人が使える枠です。障害者手帳を持っていない人は、何も不自由がない人かといったらそうでもありませんよね。障害者手帳というのはある程度基準にはまった人だけに交付されるものなので、もちろんそこに該当しない不自由さを感じている人たちがいます。2人目に発表された横田さんも障害者手帳を交付されない人なので、そういう人たちは障害者雇用枠というのは使えません。
そうすると、どうしても一般の就職活動のなかで私が感じたような思いを持って戦っていかないといけない人たちがいます。手帳を交付されない軽度の人の就職の話というのは、これだけで1日話せるぐらい大きいテーマなので、ここでは、こういう人たちがいるんですよ、ということを紹介しておきたいと思います。
仕事をしているとまわりの人間が私のハンディを忘れていることがすごく多くあります。それは、私がどっちつかずの立場だからこそ起こっているのだと思います。私にとっては気楽でそれは非常によいことなんです。普段、普通に仕事をしていますし、普通に外回りをして帰ってきていますから、まわりの人たちはべつに長谷川が目が悪いというのもべつに気にとめていないので、何かの際に「あぁそうか、そうやったな」とあらためて気づいていることがよくあります。
これは軽度のメーリングリストのなかでもそういう体験をしている方が多いようです。私は常に気にされていないのが非常に気楽で、これは「どっちつかず」の特権だと思っています。
もしかしたら、いちいちそのたびに「あ、すみません」というのが苦になっている「どっちつかず」の方もいるかもしれませんね。確かにまわりからみて私が簡単にやっているように見えていることでも本人的には色んな工夫や努力の上でしているということもけっこう多いとは思いますが、私はそうやって仕事を完全に任されてやれることがうれしく思っています。
もし、まわりにそのような人がいらっしゃればちょっとした声かけでもして下されば助かるのではないかなと思います。