HOME > 活動記録と予定 > 軽度シンポ2002 >

歩く重度障害者が感じる「どっちつかず」

秋風千恵

私は「歩く重度障害者が感じる、『どっちつかず』」というタイトルで話をさせていただきます。今回は「現在、障害者手帳1種1級の重度障害者の私が、なぜ軽度メーリングリストに入ったのか」という疑問に答えるかたちで話すことになりましたので、どうしても私個人のこれまでといった話が多くなりますが、メーリングリストでのやりとりも紹介しながらお話しようと思っています。

1.障害者手帳1種1級の重度障害者が軽度メーリングリストに出会うまで

私の障害は両手両足の機能障害です。両腕とも肘の関節が固まってまして、伸ばすことも曲げることもできません。それと足も両足とも生まれたときからの障害で、膝の関節が変形していたんだそうです。
最初に障害者手帳を受けたときは、等級は2種3級でした。等級からいうと中度ですね。重くもなく軽くもなくといったところでした。ここ半年ほどで杖をついて歩くようになったんですけれども、以前は2本足でしっかりと歩いておりましたし、日常生活にあまり介助はいらなかったのです。

そういう状態でしたから、学校は普通校で、体育のときとか、嫌な思いをすることは確かにありましたけれども、障害が原因でどうしようもなく苦しかったという経験はありませんでした。大学に進学したときから、東京で独り暮らしをはじめたんです。1人で生活するために、色々工夫はしましたけれども、これもそんなに苦労することなく生活できました。

その次にくるのが、就職ですね。これは壁がありました。私が大学を卒業するころっていうのは、歴然とした男女差別というものがまだありました。ですから、募集要項に「男性のみ求む」とか、「求む、容姿端麗な女性」っていうようなことを平気で書いて、これが問題にならないという時代だったんです。まして障害者ということで、就職はなかなか困難でしたが、それでも一応仕事にありつけたんですね。自分で生活できて、自分で食べることができた。だから、職場でイジメにあうまで自分の障害について、突き詰めて考えてこなかったというのが正直なところです。

私たちのメーリングリストでは、時々職場でイジメにあったという話がでてきます。
私は読むたびに痛いなって思いながら、ある意味必然かなっていう気もしています。軽度障害の人の方が重度障害の人よりも、職場でイジメにあうことが多いのではないかと思うんですね。もちろんこれは、統計をとったわけでも何でもありませんので、私がそうじゃないかと思ってるだけなんですけれども。

私がいた職場でも、車椅子の人が何人かいました。だけど、彼らが怒鳴られてるところとかは見たことがありません。車椅子の人を怒鳴ることなどできないんじゃないかと思うんです。健常者が大多数をしめる職場では車椅子に乗ってる人を怒鳴ったり、無視したり、少しでも傷つけるようなことをすると、そんなことをした健常者の方がひどいやつ、無神経なやつというふうに見られて、自分が不利になるので、そういうことはしないんですね。
その点、軽度の人に対しては、それほど気をつかわなくてよいというか、たいしたことないだろうという判断があるんじゃないかと思います。

私の場合は上司だったんですけれども、色々やってくれました。
一つの例ですけども、仕事上、一緒にでかけることがありますよね。私はやはり速く歩くというのはできなくて、そのことはもちろん上司もしっていました。知っていてわざわざ早足で歩くんですね。必ず、私との距離が2〜3メートル位空くように歩くわけです。横断歩道がありますと、上司がちょうど渡り終わったころに、私がたどり着く。そこで信号が赤になったりすると、横断歩道の向こう側で待っているんです。青になって私が歩きはじめると、上司も歩きだす。だから、その間ずっと私たちの間には、必ず横断歩道の分だけ距離が空いているわけです。若い女性とは手をとらんばかりに一緒に歩かれる方なんですけれども、あからさまなセクハラという話もありますけれども(笑)、でも私とはそうではなかった。必ず距離を空けて歩く、見場が悪い、障害者とは格好が悪いから一緒に歩きたくないということでしょうけれども。それをわざわざ見せつける。40すぎて家庭を持っているような「大の男」ってやつがこういうことをします。

今思い出すと、滑稽ですね、今は笑えるんですけど、当時はかなりしんどかったです。
毎日手をかえ品をかえ、こんなことが続いて、気持ちの上でも萎縮してしまう。イジメにあったらそういうふうになるんでしょうけれども、私もやっぱり萎縮していました。
イジメにあっていた2年半という、あの期間の息苦しさは決して忘れません。それまでは恵まれていたんだと思います。そういうことを感じなくてすむ場所にいました。私が初めてであった差別の視線でした。闘わなければ、仕事を失う。食べられなくなるところにきていた。逃げられなくなって初めて、私は自分が差別される存在だってことを認め、全身で感じて、闘わなければならないということをしったんです。観念的にではなく、自分の身体でそういうことがわかりました。ある意味では、非常に貴重な体験だったと思っています。

で、今の私の状態だったら、どうかなって思うことがあります。同じようにイジメにあうんだろうか。多分あうんじゃないかと思います。
杖をついているくらいでは、優しくしなくちゃいけないとは思ってもらえないでしょう。健常者が大多数をしめる職場では、車椅子というのが障害者を示すマークとして、一番ウケがいいんではないかと思います。それも手動の車椅子ですね。電動のごっついのに乗っている人とか、ストレッチャー式の寝ている形の車椅子に乗っている人っていうのは、健常者は最初から仕事のパートナーなんて思っていません。そんなこと頭の片隅にもないわけですから。一番ウケがいいのは手動の車椅子でしょう。

もう一つ言えることは、男性で、手動の車椅子に乗っている方で、労災で障害者になった人への気遣いですね。同じ職場の健常者、特に男性健常者の気遣いは大変なものです。「男が仕事で災難にあって、その結果障害を負った」のだから、「他の障害者とは違う」わけです。ちょっとこれは仁侠の世界っていいますか、そういうのを感じるくらいでした。このあたり、男女の性差別を含んで、障害者に細かなランクつけがされてるんじゃないかなって思います。

このしんどい2年半のあとも仕事は続けていたんですけども、身体がいうことをきかなくなって、島根に帰ることにしました。東京には25年間暮らしましたが、その間、身体の方は無理をため込んでいたようで、通勤にも支障をきたすようになって、帰ることに決めました。いわゆる二次障害ですね。この時点で障害等級は1種1級にあたると診断されました。

帰郷してしばらく仕事を休んで、リハビリしながらものを考えるというぜいたくな期間をすごしました。
女性であって、障害者である自分は社会のなかでどういう場所なのか、そういうことを考えていました。私個人の努力が足りなかったのか、私がつまらない存在だったからイジメにもあったのか、なんなのだろうかって。そんなことを考えていました。
ちょうどそのころ、1冊の本にであったんですね。読まれた方もあるかもしれません。『障害学への招待』という本です。私は学者ではありませんから、この本の内容をどうこういうことはできません。そういうことではなくて、自分だけが苦しいくらいに思っていたことが、学問として体系づけられるようなものだと知ったのです。学問ですから、私個人の問題を解決してくれるわけではありません。ですが、学問として障害学がある。学がいるくらい、この社会のなかでしんどい思いをしている人たちがいるんだということ、私のしんどさは社会的なシステムのなかで説明できることであって、私個人がつまらない存在だからではない、少なくとも卑屈にならなくてもいいということがわかったんです。そういう意味では救いでした。

そういうことがわかってから障害者運動に入っていくまでに、時間はかかりませんでした。他の障害者はどう考えているのか、一緒にできることはないかと思って、運動に入っていきました。
これも、今考えるとえらい単純だったなと思います。健常者のなかに場所がないんだったら、障害者のなかに入っていけばいいって思ったわけで。AでなければBという、単純な選択でした。さっき田垣さんもいわれましたが、私も今は健常者と障害者、そういうまっぷたつみたいな話っていうのは乱暴で、そう簡単に分けることはできないんじゃないかと思ってるんですけれども。当時はまだよくわかりませんで。その乱暴をやってしまったわけなんですけども。

私たちの運動は、松江に自立生活センターを立ちあげようってことで、そういう運動を展開しまして、私は2年間ここに力を傾けました。結局これは失敗に終わったんですが。グループ内部がまとまらなくて、一度壊して再編しようという話になったときに、私ははずされました。
そのときの言いようが、ある健常者がいった言葉が「はたして、秋風さんは障害者なのか?」だったんです。全身性重度障害者ばかりのなかで、彼らができないこともフォローして、みんな同じ障害者、自分たちのためにやっているんだと信じて力を傾けてきたのに、根底から否定されてしまった。健常者の側にも、障害者の側にも、どっちにも場所がない、そう感じました。アイデンティティーの喪失なんて言葉、書物のなかでなら読んだことありますけど、あのときの気持ちはそれでした。自分の存在が宙に浮いているような感じがしました。喪失感、虚しさ、何よりも打ちのめされた気持ち。
その言葉を聞いて3ヶ月くらいの間、自分というものがばらばらになってしまったようで、いつも自分は間違っているという感覚から逃れられませんでした。何か自分が卑小なものに思えてしかたがなかった。ほんと、しんどかったです。当時は、打ちのめされるばかりで、怒るという感覚もなくしていました。

でも今は、この言葉を思い出すと、むかっ腹が立ちます。自立生活センターなどといって、健常者も障害者も「共に」といいながら、健常者の視線で障害者を振り分け、人を疎外し、人と人との繋がりを分断していく。またしても、私がしんどそうでないから、自分の理解の範囲にいる障害者ではないからという理由で、健常者は私から居場所を取り上げた。

そんなことがあって、あらためて自分の場所はどこなんだろうって探していたときに、ある雑誌に載った文章のなかに「どっちつかず」という言葉を見つけました。軽度メーリングリストの合言葉でもある「どっちつかず」。共感しました。もう深く納得して、軽度メーリングリストに入りました。

2.重度障害者が軽度メーリングリストにであって感じた開放感

軽度メーリングリストに入って、やっと自分の思うことが言える、言ってもいいんだと感じています。健常者社会から「そこどいて」といわれ、障害者のなかにいようとすると「あんたは障害者なんか?」といわれて、どちらにも場所がないと感じた私が、開放されて話ができる場は、今のところここだけです。

「はたして、秋風さんは障害者なのか?」なんて愚問です。
私の身体は障害を負っています。そこからは、逃れられません。ですが、私の身体にも、気持ちにも、健常者の診断はいりません。私がいる場所は私が決めます。身体がしんどそうに見える重度障害者の方が、気持ちもしんどいだろうという見方は間違っているのではないかと考えています。重度には重度の、軽度には軽度の、それぞれのしんどさがあるということをわかってほしいと思っています。

3.メーリングリストから(以下、メールの引用)

(1)盲学校で感じる違和感

盲学校の入学試験のとき、テスト用紙が大きな拡大文字でびっくり。「目ようなったんか?一般の人は普通の字がこんなふうに見えるのか?そら早いわ」と思った。
盲学校では、とにかく「よう見えてええな」とよくいわれる。例えば、誰かがものを落としたときに拾うと「あんた、よう見えてええな」。直接にもいわれるし、人が自分のことを話題にするときにもそのことがいわれる。変な気がする。人を序列化して、「私はでけへんのに、あんたはできる」といわれてしまう。晴眼者に近いほどよいのか?ええにこしたことないのか?果たして、そうなんかなと思うが、口ごもってしまう。そういいたくなる気もわからんではないから。
「バイトを選べるだけでもええやん、ぜいたく」といわれたりもする。自分でも、「甘えとったんか」「ここにきたのは間違いなんか」と思ってしまうときがある。臨床の患者さんにも、職安の職員にも「何で盲学校にいるの?」「そんだけ見えたら苦労ないわねえ」などといわれてしまう。答えようがないやん、と思う。
結局のところ、「ハイッ、健常者、障害者、二つに分かれてくださーい」といわれたって、できるのか。線なんて引けるのかなと思う。
私は自分のことを語るとき、相手によって言い方をかえることにしている。盲学校のなかでは飲みにいっても、例えば、バイトの話などはしない。「できてええやん」といわれたら身もフタもないから、いわない。「この人はどれぐらいわかってくれる人なんかなー」と、考えてものをいうことが習慣になっている。盲学校のなかの方が気をつかう。 「どっちつかず」という居場所は、作れるだろうか。「どっちつかず」という立場が世間で認められるようになるのかなと思う。答えはない。

(2)自立生活センターで感じる違和感

私は視覚障害を持ってから、約4年になります。健常者として長くいたのと、介護も特につけないで自立生活しているということで障害者の世界にまだなじめずにいます。何か中途半端だなぁって。車椅子の方中心のピアカウンセリングに何か違和感を感じることが多々あってどうしたらいいのか、わからなくなっています。
軽度障害者ネットのビラの「どっちつかず」という言葉が私にはピンときて、参加したいと思いました。
ピアカウンセリングを受けに来る盲人はやはり少ないですね。それも相談内容が車椅子の人たちとは違って就職や自立するためにどんな手続きがいるのか、住宅探し、使える制度といった具体的な内容が多いです。車椅子の人は家族や介護者との関係等の悩み相談みたいのがほとんどです。ピアカウンセリングの本来の目的は感情を解放して、自己の力をひきだすことなので、全ての人に必要だと思いますが、今の手法では軽度障害や盲・ろうあ者には受け入れにくいと思います。視覚障害の人はみんなセンターのなかではどうしても孤立しやすい存在らしいです。私もしっかり孤立してます!

(3)共に?

自分がいた障害者団体はその団体が築いてきた考えや価値観にしか目がいかないんです。その団体、対、社会(健常者社会)やメジャーな障害者、対、社会(健常者社会)が全てだと思い込んでいる。(歴史上その価値観、考えを勝ち抜いてきたのは認めますが)
その団体にはもっと社会には色々な人たちがいるということをしってほしかったんです。自分も何回もいったのですが。。。

これ、ほんっと!によくわかります。このカッコつきの(歴史上その価値観、考えを勝ち抜いてきたのは認めますが)これは、認めますよね。だって、今そうやってシンドイとこ闘ってくれたんだから。今も闘おうとしているんだから。やってきてくれたことは、スゴイと思う。でもさ、それだけじゃないでしょう?って思いますね。そういう二者択一だけではなくて、他にもあるでしょ、っていいたくなりますよね。ちょっと違うのがここにいるから、こっちも見てねって思います。でも、「あんたそんなにシンドそうじゃないから(軽いから)あとでね」っていうわけです。
そりゃないだろ、と思います。
じゃあ、私が楽になれるのは"いつ"なの?ってことですね。
いつまでたっても、私(一見たいして困っていなさそうな人)のシンドさはわかってもらえないの?困るんだけどさ、と思います。
共に、共に、っていいながら、障害者団体(もちろん、全ての団体ではないですが、と思いますが)や、長年障害者運動に携わっている人、運動に理解あると思われている人もですが、重度障害者(福祉の手を差し伸べる相手)と健常者(手を差し伸べる人)とが共にであって、その狭間にいる人はとりあえずおいといて、ってことなんだとかなり偏見も混じってるかもしれないですけど、思います。
そういう場所にいる軽度障害者はシンドイです。
場所がないですものね。

「共に、共に…」という言葉。
自分が仕事していた団体も「共に」という言葉が多かったです。
意味合いは、うんうんわかるという感じです。
自分は「共に」からはずされた…というか、はじめから「共に」のなかに入っていない疎外感、気持ち。忘れられません。