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質疑応答

田垣:どんな質問でもOKです。反論も大いに歓迎します。

A:中途半端な障害者か、障害者じゃないのか、そんなわが子の話です。高校生で、難聴です。制度の谷間に落ちて、教育の細かい部分に対する保障がないのを知らずに、わけがわからずに育てたんですが、母親としてのアドバイスはこれ以上できません。思春期も迎えるので、何かアドバイスが聞けたらと思って参加しました。また、社会福祉士という仕事の内容を聞かせてほしいです。

B(Aに対して):伝音性の難聴と感音性のどちらですか。また聴力はどれくらいですか。

A:感音性の難聴20dB。高い方から聞こえない。

田垣:14,5年前に資格ができました。高齢者社会に対応するための相談職です。カウンセラーとは違います。社会福祉士の場合は社会資源を使ってその人を援助します。年金、ヘルパーなどの福祉サービス。

A:制度を利用するときのサービスが主ですか?

田垣:理念としては、社会福祉士が問題を掘り起こしていって当事者団体を組織化したり、活動を開いたり調査をしたりします。しかし、あくまで理念であって、実際どのくらいの社会福祉士がやっているかは疑問。あまりやってないでしょう。社会福祉士の大部分は公の機関、施設で働いています。
アドバイスというと具体的には。

A:(シンポジストの活動は)中高生を対象にしたいとのことなので、本人がアクセスしたらいいということかと思いました。

田垣:中学や高校時代の体育の教師の対応がよかったのかどうかを話しているうちに、同じ様な障害をもつ今の中高生に向けて助けになるようなメッセージを出していくことになりました。たとえば、できない種目があるときに、実技のかわりに審判をすることで成績をつけられました。このような教師の対応がよかったのかどうかを疑問に思うようになりました。たとえばバスケットボール。これは手に障害があるのでできません。かわりにルールをおぼえることで成績をつけられました。この対応がよかったのか。
今だったら体育の教師の対応を批判できるけど、中高生のころにはできなかった。そこで、教師の対応に疑問を抱いたときに、「こう言われたらこう言い返してやろう」みたいな言葉を今の中高生に伝えようと思いました。

C:慢性疾患で難病で入院して10年たつけど、5級のままです。2〜3年で病気が進むといわれたが10年たっても進みません。病気が進まないのがよいのか、もっと進んだ方がよいのかと思っています。
京都は障害の等級に関係なくどこでも入場料は無料です。交通機関は半額です。高知に旅行したら1、2級の人だけ無料だった。自分ではもっと重度にしてほしいんですけど、中途半端です。

田垣:今のは感想ですね。

桑田:社会福祉士の桑田です。社会福祉士は国家資格ですが、社会福祉士がなかったら何かができないということはありません。僕は、老人ホームの指導員、病院のソーシャルワーカー、そういう相談の仕事を主な業務ととらえています。でも、資格がなかってもできるし、実際やってる人もいます。同時にできた介護福祉士という資格も同じです。資格がなければ介護をできないというのではありません。介護保険ができても、社会福祉士だから相談業務ができるのではありません。それより先にケアマネージャをとらないといけない。どういう社会福祉士を目指していったらいいかな、と思っています。

北川:社会福祉士会の理事をしている北川と申します。平成元年から国家試験がはじめって来年が14回目。今までの社会福祉主事は、専門的な勉強をしていません。大学を出て通信教育を受けるだけで主事の資格を取得できたので、専門的知識は問われませんでした。
ところが、高齢社会の中で専門的知識や力量をもった人を養成していくことが必要になっって、社会福祉士ができました。でも名称独占です。弁護士や医者とは違って、資格がなくても仕事にたずさわることは可能です。ただ、専門的知識・力量をもつ人ということでは必要とされています。
社会福祉士は、福祉の谷間、既成の福祉ではできない部分に対応するべきです。つまり福祉の創造、必要なものを作り出すということです。

田垣:社会福祉士は脇役として必要です。既存の制度を使って対応できるのならば、それでいいです。制度改革が必要だったら制度改革をすればいいです。
ただしあくまで当事者がやるべきです。専門家はあくまで脇役。たとえば、旅行に行こうと思ったとき、JTBのような代理店がなくても旅行には行けます。しかしJTBに任せた方が楽です。そういう形であれば専門家を活用するのもよいです。当事者でもやりたくない人がいます。ファシリテーターというか、「こういうことをしませんか」という提案をするような人ならば必要です。僕も、社会福祉士としてこのような活動をしているのではありません。

D:軽度障害MLの参加者です。脳性麻痺なので見た目で、障害者とわかるので、松本さんの話に共感できる部分がありました。障害のことをあまり知らない健常者に、電車や街で笑われることがあります。笑われて乱闘したこともあるんですけど。僕も公務員なもんで警察にやっかいになったら困るんです。ふざけた健常者に笑われたとき、自分の気持ちをどんな風にコントロールするのか、2,3例を挙げてほしいです。

松本:電車の中や雑踏の中で顔を見られるということはあります。見られるというより、おたふく風邪なんじゃないか、歯が痛いんじゃないかと尋ねられます。ひとつのやり方としては、にらみかえす。相手はびっくりして逃げてしまいます。もうひとつのやり方としては、ニコニコと「どうもありがとうございます。まいどあり。」みたいに微笑み返すのです。また、『迷いの体』に出てる方で、全身脱毛の女性は、色々なかつらを毎日取り替えます。かつらの意味をかえてしまいます。かつらではなくてファッションにしてしまうのです。ただ、今いったやり方は、ごく一部の人のこと。多くの方々は視線を逸らしてしまうか、電車に乗ったら窓の方を向くとかです。そもそも電車に乗らない人もいます。私も喧嘩しようと思うんですが、そう思っているときには、人は見てきません。
障害者をダメにするのは親、という話がありましたが、親が隠そうとする、ということがあります。顔の問題については、親の会があります。ユニークフェースの出版物にクレームがつくことがあります。いい意味で喧嘩していきたいです。

田垣:『五体不満足』は障害が重いにもかかわらず明るいという意味がありました。でも軽度障害だと、単に明るいだけでおわってしまいます。『五体不満足』とは違って、軽度の話はお膳立てしないと、人にきいてもらえないと思います。

E:MLでは自分が軽度障害者であれば参加できるということでしたが、自分がそういう体験に関わっていれば参加できるのですか。障害なのか健常なのかというはざまで悩んだとかいう場合にも参加できますか。

田垣:かまいません。ただ、健常者に近い方はかなり発言しにくいと思います。実際入ったあとでメールが来ても返事が書けないと思うんですね。

F:仏教大学で社会福祉を勉強している者です。個人的には健常者と障害者と分けるのが好きじゃないです。健常者と障害者を分けてるように思います。境界人という言葉が出てきたと思いますけど、境界を設けているように思います。
軽度障害者の障害受容はどのようなものですか。
ユニークという言葉を使っている理由を教えて下さい。

田垣:区分は永遠不変のものではないし、線引きすることはできません。でも、障害/健常という区分がないといってしまえば話をはじめられません。問題の立て方として二分法からはじめるべきです。境界というのは障害/健常という二分法を疑問視するためです。境界人という人が多くなってきて、はじめて障害/健常の区別が疑問視されるのです。境界人という考え方は、二分法をなくすことにつながります。また、既存の区分とは別のところでアイデンティティを作れば楽になります。そういうアイデンティティの作り方もいいでしょう。
障害の受容という考え方には根拠がありません。今の日本の世の中では何でもかんでも障害の受容といわれます。とりあえず何か良いことをしている状態を見て、「障害受容ができた」と判断する人も居ます。何をもって障害受容をしているのかという基準は全然ありません。障害者の状態について良い悪いを判断するだけの言葉です。

松本:(ユニークという言葉を使っている理由)当事者を名指す言葉がなかったのです。当事者にとってはやさしくない言葉しかありませんでした。見た目の違いが、病気や障害によって特徴つけられているので、「疾患固有の容貌」という言葉を作りました。ユニークという言葉を出したのは、もっとキャッチーな言葉を作ろうと思ったからです。ユニークはおかしいとか滑稽とかいう意味があるので、からかわれるのではないかともいわれました。でも、ユニークの初めの意味は「固有の」という意味です。

G:軽度の障害というのに実感をもませんでした。障害を知るというときに、手話を勉強したり、点字を勉強したり、表面的なことをします。いい悪いは別として。知るというのはどういうことなのか、と思いました。軽度障害の全体像がつかめません。

田垣:「どっちつかず」という言葉には好意的な反応が多かったので、ひとつのキーワードにしています。僕は自分自身肢体障害のことをやりたいと思っているので、全体像ということだと自分から離れたことになるので、何ともいません。もうひとつの質問は疑似体験についてですよね。

G:疑似体験の授業があったとき、学校では車いすや点字です。軽度障害だったらどういう風になるのでしょうか。

田垣:それは考えたことがありませんでした。ご指摘に感謝します。

倉本:そもそも障害を理解できると思ってしまうことがまちがいです。Gさんのように、点字とか車いすではわかるわけがないし、実際わからない、ということを感じて、「どうやってわかろうか」となります。
そもそも他者を理解できません。暮らしていく中で隣の何々さんはどういう人と理解していくだけです。その場合でも隣の何々さんの障害を理解したということだけです。障害一般を理解することはできません。わからないことをわかることの方が大事です。わからないと思ってくれれば今日の話は成功だと思います。

H(手話通訳を介して):健常者の基準は何だと思いますか。障害者を理解できないということは健常者を理解できないということと同じです。権利ということが大切だと思います。以前福祉士の研修で、お願いしたが、手話通訳がありませんでした。。何のための福祉士会かと思いました。権利意識が足りないと思います。まとめていうと健常者の基準そのものがおかしいと思います。

田垣:僕もそう思います。両手を使ってやるのがいいんだ、とか、箸をこうもつのがいいんだ、とか、礼儀作法というのは上肢障害者にとっては苦痛です。五体満足が基準になっていいます。
権利は大事です。権利といって問題解決することについて権利を主張すればいいです。しかし、権利といっても解決しないこともあります。松本さんの見られるという問題や、倉本さんの話は、権利ということで解決するでしょうか。権利で解決できないことには、当事者の体験をつかって、何か対処法を考えていきたいです。

F:僕は見た目でわからない方々のための制度がないと思います。制度を整えるためには、専門家だけではなくて、さまざまな人が連携していかないといけないと思います。そういう動きは作っていけるでしょうか。

田垣:今のところは当事者の体験に関わっていきたいです。

倉本:境界にいる人間の場合には、そういう動きは難しい面があります。自分が何とかしたらすむんではないか、という対応をします。とりあえずやり過ごすということもあります。自分さえ我慢すれば要領よく切り抜ければOKかなと。なので軽度の運動は作りにくいと思います。弱視者はできつつあるが。軽度はどこかで何とかなってしまうとか思ってしまう部分があります。逆に何とかならないこともあるのですが。

松本:連携ができるかということでは、やけどの会とかあるが、専門職が運営したりして連携が難しかったりします。来年あたりから外国の人と連携していこうと思っています。

H:9年前に交通事故に会って、障害2級。倉本さんはお金をどうしてるんですか。

倉本:大学、専門学校で非常勤講師をしてあと半分は障害基礎年金です。貧乏です。

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