くらもと ともあき
1963年、大阪市生まれ。大学等フリーター教員。
主な著書:
『障害学への招待:社会・文化・ディスアビリティ』
(共著,明石書店,1999年)
『障害学を語る』(共編著,エンパワメント研究所,2000年)
『実践のフィールドワーク』(共著,せりか書房,2002年)
『障害学の主張(仮題)』(共編著,明石書店,近刊)
ウェブで読める文章:
「障害学カフェ」No.1〜No.5
「未完の<障害者文化>:横塚晃一の思想と身体」
「盲人男性は『美人』に欲情するか:
晴眼社会を生きる盲人男性のセクシュアリティ」
今日は、とんでもないニュース(註:米軍によるアフガン侵攻開始を伝えるニュースのこと)を朝からやっていて、できれば緊急行動に参加したいところです。しかし、障害者の場合、思い立って急にそういうことができるかというと難しい。一緒に参加してくれる介助者をみつけなくちゃならなかったりとかするわけですが、そうそうすぐにはみつからない。政治的表現の自由という大切な権利が充分に保障されていないということです。ともかく腹が立っています。テロを野蛮というなら、ミサイルも野蛮なはずなのに…。
それはともかく、今日は、3つのことをお話しするつもりです。ひとつめは、自分がどうくらしてきたかということ。ふたつめは、軽度のしんどさの問題のうち、社会的にあまり認知されていない、知られていないがゆえのしんどさについて。制度の話にもつながっています。三つめは、周囲の人に知られていないだけでなく、本人の問題としてもしんどい点、心の問題についてです。
基本的におしゃべりなもので、大学での講義でも、90分でしゃべるつもりだったところを、三回もかかってようやく終えるといったことがあります。授業だったら、「続きはまた来週」ということができますが、今日はそうもいきません。いらんことをしゃべりすぎないよう注意しなくては。
いまのぼくの視力ですが、右目はまったく見えてません。左はほんの少しだけ。この部屋なら、蛍光灯らしきものがあるな、といった程度。みなさんの顔は見えない。何かクロっぽいものがある、人がいるのかな、というぐらい。全盲に近い状態ではあるのですが、これが難しい。全盲の人に言わすと、「見えてるやん」と。かと言って弱視というアイデンティティもないんです。
いま、ぼくは38歳ですが、20過ぎまでは弱視でした。視覚障害だけどちょっと見えてる。障害者手帳でいうと3級でした。いまは1級で、ばりばりの重度です。かつては、自転車も乗れた。杖もいらなかった。人の顔も1メートルくらいまで近づけば、なんとなく見えた。区別がつきました。文字も、本に顔を貼りつけるようにすれば、肉眼で読めました。
20代前半に視力が下がりました。その頃、ファミコンをよくやっていたんですね。シューティング・ゲームは苦手だったけど、それ以外はできました。かなりの腕前だった。もし「弱視者ファミコン大会」なんてものがあったとしたら、絶対優勝まちがいなしです(笑)。だから、もしかしたらファミコンしすぎて視力が下がったんじゃないかと。まぁ、もしそうだったとしても、ファミコンしまくったことを後悔はしませんけどね。楽しかったし。
…なんて、さっそくいらんことしゃべってますね(笑)。
軽度の頃といまと、どっちがしんどいか?、というとどちらとも言えない部分があります。いまは、本をすぐには読めない。点字、テープ、スキャナ、どの方法をとるにせよ、なんらかの作業が必要です。この点では、弱視の頃とくらべ、不便になったといえるでしょう。
ただ、楽になった点もあります。たとえば、切符を買おうとするとき。当時の視力でも高い場所にある料金表は見えませんでした。そこで、人に訊くこととなるわけですが、怪訝な顔をされるんです。一見、障害者であることが分からないから。「ぼく、目がわるいもんで…」と説明するんですが、そうすると何人かにひとりくらいの割合で「メガネかけろ」と言われたりする。怒られたりするわけです。見えなかったらメガネかけたら見 えるというのが一般の認識なんですね。聞いても答えが返ってこないことがあった。いまは、声をかけやすくなったし、人も手を貸してくれる。白杖をついてるぼくに対しては、誰も「メガネかけろ!」とは言わない(笑)。
制度の問題としても、軽度の人はおいてけぼりにされています。いま、たいていの駅の券売機には点字が貼られています。料金が分かれば点字でキップが買える。ところが、弱視の人の中には、点字は読めない、かといって、ふつうのサイズの墨字も読めないという人がたくさんいるわけです。券売機には拡大文字はついていない。そうするとおもしろいことが起こります。全盲と弱視の人が歩いている。弱視の人がキップを買おうとしたら、ボタンに表示されてる数字が見えない。目を近づけすぎて、鼻で別のボタンを押してしまったりして。そこで、全盲の人が点字を読んで買ってあげるという…。重度の人が軽度の人の介助をするわけです。
これは、制度の立ちおくれからくる問題ですね。点字を使う人には、社会的な認知がある程度ある。だから、点字が読めればキップを買うことができる。ところが、軽度の人、文字を拡大すれば読めるという人への制度的配慮はほとんどありません。その結果、軽度の人が重度の人より、社会の中で動くのが大変になっている。そういうことがあるわけです。障害が社会によってつくられているということのよい例ですね。からだの問題で言えば軽いはずの人が、制度の立ち後れの結果、場面によっては、重度の人より不自由な状況におかれてしまうというのが現状なわけです。
障害者自身の心の問題としても、軽度であるということはなかなか厄介です。傾向として、軽度の人の方がかかえがちな問題というのがある。具体的な例を上げましょう。ぼく自身の話です。
高校生の頃のことです。ぼくは、弱視の頃から、できないこととかを人に頼むのがわりと平気で、できた方でした。軽度の人の中には、ひとに頼むのが苦手な人がいますが、ぼくは比較的できた。ところが、ふだんはできるわけですが、どういうわけか彼女の前でだけはそうじゃなかったんですね(註:つきあっていた女性は健常者でした)。彼女は、ぼくが弱視であることを知っています。ぼくが障害者であることははっきりしているわけです。
にもかかわらず、彼女の前では、健常者のように、見えているように振る舞いたかったんです。特にデートのときとか、入るお店は男が選ぶもの、男がリードするもんだと思ってました。そういうことができない男はあかんもんや、と…。「健常者」というより、「健常者男性」と同じように振る舞いたかった。そういうことできない男はもてない、と思いこんでいた。いまは、そんなふうにはまったく思っていませんが。
そこで、デートの前には予習をしたんですね。男の友だち(註:普通校に通っていたので周囲の友だちは全員晴眼者です)とデート・コースを下見し、よさそうなお店とかを見つけてもらう。そして、自分の視力でもわかる目印をみつけておく。店に入って、よさげなメニューがあれば記憶していく。おかげで、梅田の地下街とかはばっちりおぼえました。いまでも、田垣くんみたいな田舎者と一緒だったら、案内するのはきっとぼくです。頭のなかにしっかり地図ができあがってますから。こいつ(註:田垣さんを指さす)は盲導犬の役割。角が来たら教えろ、「ワン!」とか(笑)。
当時は中途半端にできたから、そういうかたちで健常者男性のようにふるまおうとしていました。実際、かなりの程度できていたし。ところが、ある日大失敗したんです。デートの途中でお腹が痛くなってきた。下痢です。でも、トイレの場所がわからない。お店とかについては下見して、自分の視力でわかるように予習してあったわけですが、その近辺のトイレまではチェックしていなかった。かといって、その頃のぼくの感覚では、「トイレを探して!」なんて、とてもじゃないが恥ずかしくて言えない。
だから、がまんするわけです。不思議なもんで、しばらくするとおさまってくるんですよね。ところが、「持つかな?」と思っていると、しばらくしてまた波が来る。しかも、さっきより高い波になって…。その繰り返し。だんだん波が高くなって、その間隔もせばまってくる。そのうち貧血を起こしかけてるのか、世界がどんどん遠のいていく。目が霞んで手もふるえてくる。ここで倒れたら、絶対にうんこたれです。必死で我慢してるわけですから。恥をしのんで「トイレ連れて行って!」と彼女に言うか、それともうんこたれになるか、究極の選択(笑)。
結局、うんこたれよりはましということで、トイレ探してもらってことなきを得たわけですが、めちゃくちゃ恥ずかしかった。でも、ほっとひと息、といった感じでトイレから出ていくと、彼女が心配げに笑っている。「がまんせんと言うたらええのに」と。すごく楽になりました。ええかっこせんでいいんだと。しかも、「そうやって言ってくれた方が、自分も自分のしんどいこととか、本音をしゃべりやすい」とも。いま思うと、メッチャええ子ですね。その二ヶ月後に別れたんですけど(笑)。まぁ、それはともかく、その後すぐに予行演習をやめたりしたわけじゃないけど、この事件をひとつのきっかけにして、恋愛の場面でも、徐々にありのままの姿でいいと思えるようになっていったように思うんですね。
ともあれ、軽度であるが故にしんどい、軽度だからいいにくいということが結構あるということです。重度の人にはないしんどさを軽度の人は体験している。もちろん、重度の方が大変なこともたくさんあります。だが、それだけじゃない。重度とは違う部分で、軽度には軽度独自のしんどさがあるということです。