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メンバーの感想


貴重な「癒しの場」

自分の障害を直視できるようになったのはいつ頃からだろうか。
脳性麻痺ながらも著しく不自由なのは左手だけという私は、子供の頃は“鵜の真似するカラス”だった。普通校に通っていたので周りは健常者ばかり。親からは「障害を売り物にするな、障害を理由にしたら負けや」と言われ続けた。

ところが、学校、友達、就職と様々な問題に直面するにつれ「普通の健常者とは違う」という思いが強くなり、「障害者ってどんな生き方をしているのだろう」と興味を持ち始め、就職後、ある障害者団体に顔を出すようになった。

しかし、そこでの立場は“イソップのコウモリ”。居心地はそれほど悪くはないが、重度障害者でも健常者ボランティアでもない“どっちつかず”の存在だった。

そんな中'97年秋、神戸でのある障害者団体のイベントで一人の上肢障害者と出会い「軽度障害者が自分の思いを語り合える場を創りたい」と意気投合し、軽度障害メーリングリストの立ち上げにつながった。「やっと“自分の居場所”ができた!」そう思った。
健常者には「そんなことぐらいで」重度障害者には「軽いからまだましや」と一笑に付される軽度障害者特有の悩みを議論できるこのメーリングリストは、これまでのもやもやした思いを払拭するに余りあった。 メンバーそれぞれの障害の箇所や種類は様々だが、“どっちつかず”という共通の意識を持っているため、時には愚痴をこぼしながら、肩肘張らず和気藹々と議論ができるので、毎日のメールチェックが楽しくて仕方がない。 健常者社会で孤軍奮闘を強いられ、周囲に本当の意味での理解者がいずに精神的に孤立しがちな軽度障害者にとって貴重な“癒しの場”だと思う。

これからも、この最高のメンバーと楽しく議論しながら“自分の生き方”を模索していきたい。


「仲間」のありがたさ

私がこの「軽度障害者」MLに入ってまだ1年ちょっとしか経っていない。パソコンを使うようになったのがそれぐらいだからだ。その私が「メーリングリスト」というものを知り、こうして軽度MLと出会って運営委員をやるようになるまで何かトントンと進んでしまった感じがする。それほど居心地がよかったのだと思う。

このMLの参加基準は「健常者」「障害者」の狭間で生きる「どっちつかず」と感じている当事者であることだけだ。だから障害の種類や程度はさまざまである。
でも、意外によく似た体験や思いを持っているのだ。その上ここには何の利害関係もない。職場での失敗、家族のことなどの外では言いにくいことや弱音を周りに気にせず吐ける所なのだ。そして、返事できる人がそれにこたえる。元気になれば、また私も他の人がしんどい時に返事を返す。いつも顏を突き合わさないMLならではの距離感のよいところだと思う。

「どっちつかず」な「軽度障害者」は今まで仲間に恵まれず、居場所のなさを感じていた人が多い。私も大学を出るまでは全くの「健常者」として彼らの中で負けてたまるか!でやってきた。
その後、盲学校に入学すると一転「障害者」の中で「恵まれた人」「健常者の代表」になった。バイト先などでつらいことがあっても、ぐっとこらえて(それは皆同じだろう)、吐き出すところがなかった(これがしんどい)。「たいしたことない」なんて(自分でではなく)他人に言われると、人に裁かれたような気がして、その人にはもう何も言うまい、と思ってしまう。
そういうとき、家に帰ってメールを書く。そうすると、うっとうしい私のメールに返信してくれる人がいる。私の言いたいことが見事に伝わっているようだ。こんなことは外ではない。「仲間」のありがたさを意識する時だ。
実はこのML、「旅」と「飲み」のMLでもあるのだ。オフ会も盛んだ。うまい酒が飲める。「仲間」の存在に感謝する。