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学校に行けば…

その1(視覚障害)

その2(アルビノ / 視覚障害)

その3(吃音)

その4(上肢障害)

その5(聴覚障害)


その1(視覚障害)

わたしの苦手はまず英語の長文と単語調べその他作業量の多いもの。

数学の板書を写すこと。他の教科なら言葉を聞いて書き取れますが、数学はなかなか難しい。カッコがどこまで?とか。符号が逆になったらいつになっても解けへん!という泥沼にはまったり。しんどいので数学の時間は保健室でお茶飲むか、前後ろの子と○×なんかやって遊んでました。

写生や静物画。いちいち前に見に行って、座って描いて…で一時間終わり。結局宿題。

これに限らず、作業が遅いわたしはいつも積み残しの宿題を抱えていました。そうでなくても、宿題で四苦八苦なのにその上に積み残しではできるはずなし。小学校の間に投げることを覚えてしまいました。静物画は前にいけるけど、写生は隣の子のを見て描くしかありません。持つべきものは友達です。それが分からなかった低学年の頃は自分が見えない部分を白紙で出して「何で白紙や?とにかく埋めなさい」と言われて困ったことがあります。

これは教科ではなかったですが、集会なんかで班分けをしたとき。自分がどこに並ぶべきかわからない。毎回おんなしところに並んでくれ!と思いました。一回だけなら誰か呼んでくれるけど、毎回になると「おまえアホか」になります。

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その2(アルビノ / 視覚障害)

板書が見えないのは僕にも日常的なことで、そんな中で僕が得意とした教科は数学でした。

弱視だと

1.先生方が口に出すこと
2.黒板に書く手の動き
3.教科書に書いてあること

以上3つが僕が得ることのできる情報でした。

で、以上3つのうちノートの筆記すべき情報は3→2→1の優先順位。

教科書に書いてあることがほぼそのまま板書されるのは数学でした。(答えは書いてくれませんが)

てな理由で数学が一番得意(というかノートが充実している教科)だったのですが、いかがでしょう。

> これは教科ではなかったですが、集会なんかで班分けをしたとき。 自分がどこに並ぶべきかわからない。毎回おんなしところに並んでくれ! と 思いました。 一回だけなら誰か呼んでくれるけど、毎回になると「おまえアホか」 になります。

これは自慢でもなんでもありませんが、僕はアルビノで身長が180以上あります。
そのため、例えばグラウンドで集会とかがあるときは、僕のクラスの連中は、並ぶ場所がわからないと僕の周りに集まって来ました。ある程度人数が集まると、担任が誘 導するのです。

周りが見えてないけど、その本人は目立ってる。ちょっとした待ち合わせ場所です。 今でも友人なんかと待ち合わせるときは、待ち合わせ場所付近をウロついて、自分か らは探そうともしません。だって見つけてくれるから。

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その3(吃音)

僕の場合、当てられるかどうか、ということが一番大きかったです。当てられて声が出ない、という状況がきつかったから。吃音の場合、単に「吃ってしゃべる」というのでなく、ひどいときは数分声が出ないことがある(これは言語障害の中でも吃音の特徴かも)ので、これは相当厳しい。

ただ、国語や英語で朗読させられる(あらかじめ決まったことをしゃべる)というのとは違い、他の教科では、言い換えるとか「分かりません」で逃げる、という手があったので、きつさはだいぶ少なかったです。

で数学なんですが、これは好きでした。僕の中高時代の数学の授業というのは教科書を使わなくて、先生が問題を板書して、生徒を当てる、ほぼそういう形式で進んだのですが、僕が声が出ないと先生がその部分をさりげなく黒板に書いてくれたので、苦しまなくてすみました。

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その4(上肢障害)

音楽。音痴という事は、おいて、縦笛、ドレミファソラシドをふくのに7本の指が必要で、私は、右手がうまいこと動かないから、ドは、吹けなくて、いつもひとりで、嫌でした。

両手が使える人が、練習が足りないとか、親や教師同級生は言うたけど、出来ないものは、出来なかった。悲しかった。縄跳びも。

今なら、あんたたちも右手が使えなくても、吹けるか、飛べるか出来るのかといいますが・・・。

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その5(聴覚障害)

とにかく、教師が口で教えることがよく聞き取れない。同級生の発言もよく聞き取れない。霧の中にいるような感じで、教科書・参考書が頼り。体育など、授業の展開が読みにくい教科は同級生の行動を見て、ああ次はこうするのかとマネをする。

必死で教師の口元を見て、読唇を習ったわけではありませんが、こんなこと喋ってんのかなとカンを働かせる。(あ、これは対面で人と話すときはいつもですが)教師が板書しながら説明してるときは、口が見えないからアウトです。

日本人は顔をまともに見るのは失礼だという感覚の人が多いんでしょうか。いつでも私がにらみつけるように顔(口)を見ているので誤解する教師がたくさんいました。「先生の顔をいくら見ても答えは書いてありませんよ」とか「何か先生に文句でもあるのですか」とか言われちゃう。ノートとるのでも、ふつうの子は下向いて書いてるけど、私は教師の顔見て書くから、教壇から見たとき、きっとひとりだけ顔を上げてるんで異様に目立ったんでしょうね。

授業中あてられて、質問が聞こえてないので「質問をもう1度言ってください」というと「聞いてなかったんだろう、立ってなさい」とか。

見かねた同級生が「この子は耳が悪いから」と教師に言うと「なぜ最初からそれを言わなかったのか」と叱られました。担任教師には親からも難聴のことを必ず伝えていたのですが、担任以外の教師には情報が届いてないことがほとんどだった。どうもこの繰り返しで、とにかくカムアウトしないと自分が損だと思うようになったみたいです。

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