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もしも健常者になってしまったら…

その1(内部障害)

その2(視覚障害)

その3(アルビノ / 視覚障害)

その4(上肢障害)

その5(高次脳機能障害)

その6(内部障害)

その7(視覚障害)


その1(内部障害)

ふと、今日考えることがありました。
ひょっとしてこの体調の良さは、この前の新しい薬のおかげ???(実験として飲んでいます)と思うとちょっと気分に陰りが出てきました。
その理由はもし、このまま、病気が治ってしまったらと思うからです。

・もし病気が治ってしまったら・・・
・もし健常の体になってしまったら・・・

ということを考えたら

・もし重度になってしまったら・・・
(は対応できると思うのですが・・・)
もし、病気、障害が治ってしまったらどうしようか?

と考えていたら、とまどっている自分がいて、心配になってしまいました。
皆さんは、どうですか?

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その2(視覚障害)

この感じ、私もあります。

今まで、この体があって、今の私の考え方なり、生活様式ができ上がって来ました。それが、急に本物の「晴眼者」「健常者」になって、周りからもそう見られることになると、中と外が不釣合いになる、というか自分がバラバラになるような気がします。

体が「健常者」になったからと言って、彼らと同じ感覚には多分ならないでしょう。今でも十分「中途半端」で世間の見方と自分の感覚とのズレを感じているのに。そんな苦しさに比べたら日常の不便なんか私らの程度では取るに足らない、と「中途半端」は思ってしまいます。

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その3(アルビノ / 視覚障害)

治ったら困るってことくらいしか想像できない。
でもこれ、アルビノが進行もしなけりゃ治療法もないから言えることだとは思う。

ワカメ食え、コンブ食え、ヒジキ食えと言われてた頃を思い出す。いやいや、そんなもん食っても色素は出てきてくれないから。本当にそれで色素が出てくるもんなら当時は食ってたかもしれない。でも今なら食わない。
僕の身体にはほぼ皆無であるメラニン色素が今さら出てくるってことは、髪の毛が黒くなり、小麦色の肌になり、黒目になり、視力が上がるってこと。髪の毛の色のことでバイトを諦めることもなく、海に行って日焼けもできるし、野球もできる。

でももしそんなことになったら一体誰が僕に気付いてくれるのさ。
見た目が異質だから第一印象が強いことはわかってるけど、その印象は異質な部分が多くを占めているから、その異質さがなくなったら僕を僕と認識できなくなる人が出てくるのは間違いない。「よく似たヤツを見かけたよ」という友人達の報告は髪の毛の色、肌の色に偏っていて、僕の顔の造形から僕と似ていると判断してることがない。僕が絶対に持ってないような洒落た服を着ていても、ハナから決めつけているから「垢抜けた」とかいった理由でそれは無視される。

そんなこんなで憤りを感じつつも、その特異な風貌を利用して他人とのつながりを保っている現状に甘んじている以上、やっぱり治ると困る。

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その4(上肢障害)

これって困りますね。

子供の頃に治るのならまだしも、ある程度大人になってからの場合はかなりしんどいでしょうね。

「中途健常者」になるってことでしょう?
「中途障害者」と全く逆の立場になるわけですからねぇ…。

まず、「五体満足な身体になってしまった」ということを受容しなければなりません。これはかなり大変です。カミングアウトできるのはいつのことになるのやら…。
「左手が不自由やから」という大義名分のもとに、やらずに済ませられてきた、キャッチボール、バスケットボール等の球技、器械体操、腕立て伏せ、跳び箱、逆立ち、鉄棒、水泳、ゴルフ、あやとり、縦笛、麻雀、テーブルマナー、鍋奉行、パソコンの両手打ち、ミッション車での運転免許、バイクの運転、機械いじりなど「男性健常者のたしなみ」を一からマスターしなければなりません。

また、これまで障害者だからと怠けてきた仕事もさせられるようになってしまう。大変です。一人前の健常者になるまでのリハビリに要する歳月は…と考えると気の遠くなる話です。

中途障害者がよく使う「身体は障害者。でも、心は健常者。」のセリフとは逆に「身体は健常者。でも、心は障害者。」と、あっちこっちで言ってるでしょうね。
以前、僕に脊椎損傷で車椅子の某中途障害者が言った、「俺は20歳を過ぎるまで健常者やったんや!だから俺に他の障害者と同じナメた言葉づかいはするな!」というむかつくセリフと同様に、健常者を捕まえて、「俺は30歳を過ぎるまで障害者やったんや!だから生まれたときから五体満足で脳天気に生きてきたお前らと一緒にするな!」と、憎まれ口をたたいているかも知れません。

何より恐ろしいのは、健常者として第2、第3の「僕」の攻撃の対象となること。これは恐怖です。本気になった僕と論争して打ち勝った健常者は皆無に等しいですから…。中途健常者の僕なんかあまりの恐怖に障害者のふりをするどっちつかずの中途半端健常者になってしまうかも知れません。

結論。「今のままでいい!!」

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その5(高次脳機能障害)

こんにちわ。私は中途障害者です。

私も、よく自分が障害者でなかったら・・・てことを考えます。

私は、自分の将来に向けて一歩踏み出す前の小学6年生の時事故にあいました。受験勉強中だったので、もしあの時事故にあわなければ今頃どうなってるかなんて、見当もつきません。
障害者でなかったら、障害者の世界(?)なんて考えつかないと思うように。

中学・高校も普通校だったので、体育の時間を無視すれば障害でできないこともありましたが、自分にはできないんだって決めてました。その方がずっと楽になれるんです。
もちろん努力した結果あきらめるというか自分を知るため、自分を知ってもらうためにも。
就職活動で、障害者手帳をもらってから自分が障害者だって意識し始めましたね。何かができない自分でなくて、自分が障害者だから何かができないと言う方が普通でいられるし。

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その6(内部障害)

みなさん、似たような感覚をもっていることに安心しました。

中途健常者の話、笑ってしまいました。

> 一人前の健常者になるまでのリハビリに要する歳月は…。
> と考えると気の遠くなる話です。

そうです、気の遠くなるというか、仕事のできる自分っていうのが今まで無かったから、仕事のできる自分、器用な自分っていうことを想像すると、笑ってしまいます。

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その7(視覚障害)

もしも、ではなくて、もしかしたら本当は健常者なのかも、と思うことがあります。
ほんとは健常者なのに、健常者になりきらないほうが楽だからどこかで加減しているのでは、と。
健常者社会の競争に敗れたから、今度は障害者社会に首を突っ込んでいるだけではないか、と。

盲学校の入学基準はいくら、と知ってしまった今、そこを越えたら存在がやばいからブレーキを掛けているだけで、実は車の免許も取れるのではないか?(多分それはないんやろうけど)もしそうなったら今まで言ってきたことや、居場所はどうなる?とすごく不安になる時があります。だから、免許をとりに行くのはこわい。
今まで何回も挑戦しようと思ったけど断念したのは一つにはそれがあります。

盲学校の友人たちと出かけて運賃が見えてしまったとき、メニュー読み役をするとき、すみ字の本が楽に読めることを再発見したとき掛け時計が読めたとき…なんかにふと襲ってきます。

私は中学の頃、原付が取れるぐらいの数値が出ていた時期があります。でも、そのときと今とでは生活は変わりません。昔はよかった、とも思わない。ということは、ほんとは変わってないのか。皆は「0.5見えたら違う」なんていいますが、私にはピンと来ないのです。

私には「どっちつかず」さえ怪しい立場ですね。

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