HOME > 軽度障害者は語る >

「どっちつかず」ということ

1.今の私の状態

― 医学的な話

 私は先天性白内障の三代目だ。水晶体をとっているため、遠近調節ができず、近いところの小さい字が苦手だ。老眼のようなもの。
 矯正視力は左が0.25、右が0.04。障害者手帳には該当しない。ただし左右差のためか両目でものを見ることができず、片方ずつしか生きていない。だから普段は右はコンタクトなし(0.02)。手帳で「両眼の視力の和が・・・」といった規定があるが、視力が足し算のように増えるわけではないのに無意味ではないか、と思う。

― 「手帳」と「盲学校」と「運転免許」→資料

 それぞれ細かく規定があるが、縦割り行政のせいか基準がバラバラだ。
盲学校の生徒で、手帳がなくて、原付に乗れない私。
手帳があって、原付に乗れる人(0.5,0.02)。
手帳も盲学校も原付もない人(0.3,0.03)。
 手帳がないとどうなるか。職安の障害者用のコーナーに行っても、手帳がないと扱ってもらえない。同じ盲学校の生徒でも窓口が違う。初めから事情を説明して「正攻法」で行くには選択肢が狭まる。

2.家庭環境

― 盲人一家の「晴眼者」として

 親や祖父母をはじめ、親戚に8人盲人がいる。全員が針灸やあんまの仕事をしている。ちっちゃい時から、親の用事を手伝ったりしていた。「バスの行き先を見る」ことで字を覚えた。母親は字が書けないから、小学校の連絡帳を書くのも自分がやっていた。「今日は休みます」と、親のふりをして書いた。たまにどうしても母親に書いてもらいたくなって無理やり書いてもらって先生に出すと呼び出された。「おまえ勝手に書いたやろ」と言われた。
 役所に行ったりするのもしょっちゅうで、介助者として鍛えられた。自分が断ったら他にやる人がいないから、当然のようにやっていた。
 母親はよく、「0.1あれば晴眼者」と言っていた。私は今でもそんな気がしている。この基準が私には染み付いている。人はともかく、私は「晴眼者」なんだ、と。
 最近こんな事件があった。じいちゃんが親戚と電話ではなしていた。わたしのことが話題に出た。じいちゃんが「パートでもさがしてるんとちがうか。大学出ても仕事なくてなあ」と話しているのが聞こえた。もちろんじいちゃんは、自分が盲学校に行っていることを知っている。隠したいんか?と思って、ショックだった。おそらく、「今までせっかく普通のところ(普通校、大学)でやってきたのに」という思いがあったんではないか。

3.晴眼社会の中では

― 保育所から大学まで

 あまり自分が「見えにくい」と考えたことがなかった。能力より、見た目(今のようにコンタクトレンズでなく、厚いメガネをかけていた)のことで気持ち悪い、くさるといじめられた。教師の差別として、例えば、「プールに入ったらあかん、目の悪い子は危ない」と言われたりした。帽子に黄色い布をつけるように言われた。それが3年生ぐらいにクラス対抗リレーに出てくれ、といわれた。それから自分でその布をはずした。
 席替えがあっても、申告すれば前から3番までになるので、「見えます」と言って一番後ろの席に座った時の快感が忘れられない。もちろん黒板なんか見えなくても。
 「何が原因で失敗するのか」をよく考えた。これは自分が見にくいから失敗する、と言えるのか。例えばテニスや卓球。なかなか球に当たらないので先生に「なんで当たらないの?」「よく見て」と言われた。英文タイプのテストでは一生懸命見て、覚えて、打って…とやっても、マイナス点を取った。じっとしとったら0点や、と気づいて悔しかった。しかしそれは視力のせいなんだろうか。どんくさいだけなのに言い訳しているだけとは思われたくなかったし、自分でもどっちなのかよくわからなかった。いまだによくわからない。
 「どうすれば勝てるか」を常に考えていた。遊びでも勉強でもそうだった。かくれんぼしたら鬼にならないようにあの手この手考えた。それが楽しくもあった。どんな手を使っても結果残せばいい。言い訳はしたら負けやと思っていた。

― バイト先で

 大学時代から今に至るまでいろんなバイトに挑戦したが、とにかく面接で落ち続けた。正直に「見えにくい」と言ったら面接の態度が急に変わって「日常生活は大丈夫ですか?」と聞かれたりした。盲学校と履歴書に書くと黙っていてもいわれることがあった。
 仕事はどれだけできたかがすべて、過程より結果の世界。人の3倍がんばって仕事をしたからといって3倍給料はくれない。
 ボランティアをしていた時、力仕事をしたかったのに事務の仕事にまわされた。助成金の書類作成があまりに大変でヘルペスになったこともある。仮設住宅の草刈りをしていた時、「運転免許をとれ」と言われた。とれませんと言って説明しても、「やる気がないからや」などと説教されたりした。矯正して免許が取れない視力というのがわかってもらえない。「上等なコンタクトを買え」と言われる。今してるのも特注なのに。

― 「なんか人とは違う」気がして盲学校へ

 大学で英語を専攻したが、落ちこぼた。人との作業効率の違いを痛感させられた。(英文購読の)予習にすごく時間がかかった。一度、先生がみんなに
「どれぐらい予習に時間がかかるか」を尋ねたことがある。45分、1時間、2時間といったところでたくさんの人が手を挙げた。先生が「3時間以上」と言ったら、誰も手を挙げなかった。自分は二日かかったのに。そういえば、小学校の頃から宿題にえらい時間がかかった。だから小学校5年生からまじめにやっていくのはやめた。
 大学で留年することになって、初めて親に相談した。それまでは言ってもしかたないと思っていた。「もう大学やめるわ。卒業して何とかOLになったって、やっていけへん」と言うと、母親が「この仕事(鍼灸・あんま)したら?」とチラッと言った。そこで初めて、「あ、そうか。盲学校っていうのもあるんか」と思った。もちろんあることは知っていたが、まさか自分が行くところと思っていなかった。そうなって初めて、テニスや英文タイプがうまくできなかったのは、針に糸を通すことができなかったのは、そのせいやったんか、と思った。

4.盲界の中では

― 盲学校で感じる違和感

 盲学校の入学試験のとき、テスト用紙が大きな拡大文字でびっくり。「目ようなったんか?一般の人は普通の字がこんなふうに見えるのか?そら早いわ」と思った。
 盲学校では、とにかく「よう見えてええな」とよく言われる。例えば、誰かがものを落とした時に拾うと「あんた、よう見えてええな」。直接にも言われるし、人が自分のことを話題にする時にもそのことが言われる。変な気がする。人を序列化して、「私はでけへんのに、あんたはできる」と言われてしまう。晴眼者に近いほどよいのか? ええに越したことないのか? 果たして、そうなんかなと思うが、口ごもってしまう。そう言いたくなる気もわからんではないから。
 「バイトを選べるだけでもええやん、ぜいたく」と言われたりもする。自分でも、「甘えとったんか」「ここに来たのは間違いなんか」と思ってしまう時がある。臨床の患者さんにも、職安の職員にも「何で盲学校にいるの?」「そんだけ見えたら苦労ないわねえ」などと言われてしまう。答えようがないやん、と思う。

5.「障害者」「健常者」の境界

― 時差ぼけ  〜わたしは2.0? 0.2?〜

 盲学校の中にいたら、「ええなあ」「苦労ないやん」と言われる。学校の中では世間の2.0ぐらいの扱い。一方、はりきってバイトに行くと、全然違う世界。ウェイトレスをしていたが、客の皿やビール瓶がカラだと思って下げようとすると、「まだ食べとんやぞ、おまえ目悪いんか」と怒られる。メニューを指さして「これとこれ」と言われて見えなかったり。この、両方の世界の落差をどう解決したらいいのかわからない。どこにも居場所がないと感じる。

― 私が感じる「障害者」「健常者」の立場の差

障害者・・・障害がちゃんとした理由と認められる
健常者・・・ただの言い訳ととられる

 つまり、「障害者」という肩書きがあれば、「そうなのね、では配慮します」と言ってもらえる。それが充分かどうかは別として、テスト時間の延長などもある。就職の枠もある。しかし手帳がない、健常者(晴眼者)という身分では、見えにくいことを言っても、相手にとっては、ただの言い訳でしかない。 中学校の三者面談の時のこと。定期テストや模擬テストで時間切れになってしまうことがよくあった。だけどそういうことを言っても、先生からは「勉強不足」「基礎学力がないからや」と言われ、問題集を与えられたものだった。全然やらなかった。

― 「障害」−「健常」連続体 〜純粋な「障害者」「健常者」はない?〜

 結局のところ、「ハイッ、健常者、障害者、二つに分かれてくださーい」と言われたって、できるのか。線なんて引けるのかなと思う。
 大学時代、社会言語学の本を読んでいて、「方言連続体」という概念が出てきた。つまり、極端な方言とテレビに出てくるような「共通語」との間に連続体があって、みんなその間のどこかに位置している。「これが共通語」「ここからが方言」とズバッと線を引くことはできないということだった。一人の人も場面によって方言度の違う変種を使う。それと同じじゃないかな、と思った。世の中の文書がすべて24ポイント(字の大きさ)だったら、私にはまず不便はないだろう。

― 私はどこに立てばいいの?

 私は自分のことを語る時、相手によって言い方を変えることにしている。盲学校の中では飲みに行っても、例えば、バイトの話などはしない。「できてええやん」と言われたら身もフタもないから、言わない。「この人はどれぐらいわかってくれる人なんかなー」と、考えてものを言うことが習慣になっている。盲学校の中のほうが気をつかう。
 「どっちつかず」という居場所は、作れるだろうか。「どっちつかず」という立場が世間で認められるようになるのかなと思う。答えは、ない。


[資料]

盲学校入学基準

(1)両限の視力が0.1未満のもの
(2)両眼の視力が0.1以上0.3未満のもの又は視力以外の視機能障害が高度のもののうち、点字による教育を必要とするもの又は将来点字による教育を必要とすることとなると認められるもの

手帳等級表

5級
(1)両眼の視力の和が0.13以上0.2以下の者
(2)両眼による視野の1/2以上が欠けている者
6級
一眼の視力が0.02以下、他眼の視力が0.6以下の者で両眼の和が0.2を超えるもの

原付免許

両眼で0,5以上。片眼が見えない場合は、他眼の視力が0,5以上で視野が左右150度以上。

大学入試センター試験における受験特別措置

(1)良い方の眼の矯正視力が0.15未満の者
文字による解答・1.3倍に延長別室・文字解答用紙
以下略

(2)両眼による視野について視能率による損失率が90%以上の者
(3)上記以外で解答用紙にマークすることが困難な者
延長なし別室・文字解答用紙