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翼にのった車椅子

秋風千恵

1.初めての車椅子参加者となり…

去年「第12回しまね女性の翼」でオーストラリアに行きました。その際、車椅子を使用したのですが、「しまね女性の翼」で車椅子を使用したのは、わたしが初めてということです。それで、そのときの体験談を交えながら、障害者を取り巻く状況について、いまわたしが考えていることをお話しようと思います。

わたしは先天性の四肢障害でして、両足とも内反足といって、足を外側に向けて歩くように生まれついたのですね。でもそうひどくはなかったので10年くらい前までは走ることもできました。もちろん早くはないですけども。でも、もともと変形してるわけなのでだんだん他にも支障がでてきて、いま右膝の関節がほんと薄くなってまして、長い距離を歩くとか、長い時間、そうですね、10分くらい立っているとか、そういうことがつらくなってます。

それも、わがままに聞こえるかもしれませんが、身体の状態は日によって違うもので、長い距離、例えば今日の身体の状態では、このビルから歩いて20分くらいのK広場まで歩くのはちょっと無理です。すぐそこのM銀行までならだいじょうぶかと思いますが。外国に行って、どれくらい歩くのかわからないのですから、ここはやはりいざというときのために車椅子が必要と思いました。

ですが、どうやらいままでこの研修で使った人はいなかったようなのです。正直、どうしようかと思いました。車椅子用意してもらえるんだろうか。行くまでに車椅子を自分で使えるようになってなければ。一緒に行く人達の反応はどうだろう? そんなことを考えると、オーストラリアが遠くなってしまうように感じました。ともかく、正直に自分の状態を説明して、わかってもらわないと。そう思って事前の会合のとき話しました。これは、かなり勇気いったんですね。個人の旅行と違いますし。研修ですし。県からお金を出してもらって行くわけですから。

でも、県の方でも、わたしの状態をわかってくださって、車椅子を手配するからと快く受けていただいたのにはホッとしました。面倒がられるのではという心配は杞憂でした。車椅子を用意してもらったこと以上に、快く受けていただいたことの方がずっと嬉しかったです。

一緒に行った人で、やはり脚の不自由な人がいらっしゃったのですが、その方は座薬を入れて歩かれました。みんなに迷惑をかけてはいけないと考えられてのことです。 わたしは、長い距離は不安であるし、途中で歩けなくなったら、むしろ気を遣わせることになると考えて、車椅子を用意してもらいました。その人の気遣いとわたしの気遣い、どちらがいいとも言えません。考えかたは身体の状態や、年齢、環境などによって違って当然ですし、なによりも本人がいいと思う方法が一番なのです。

2.車椅子から降りられなくなって…

わたしは、いまは杖を離せなくなりましたが、つい1年くらい前までは杖を持たずに歩いていました。いまでも、室内なら杖なしで歩きます。だから、まったく歩けないわけじゃない。杖ついて歩くくらいなんですから、車椅子は「いざ」ってとき、そうとう長い距離を歩くときのためと思っていたんですが、実際にはそうはいかなかったんですね。

「第12回しまね女性の翼」は、添乗員の方に恵まれました。Aさんというすてきな女性で、気配りはいきとどいているし、頼もしかったんです。で、この添乗員さんが、車椅子の参加者がいることをとても気遣ってくれまして、なにしろわたしに無理をさせないように、動いてくれました。それに、参加した団員みんなが気遣ってくれたんですね。

松江をバスで出て、出雲空港、関西国際空港までは車椅子ではなかったのですが、もう関空内から移動は車椅子になりました。飛行機内では杖で移動ですが、ブリスベンで降りるときはわたしと、わたしに付き添ってくれる人(旅行の間中、団員の方がかわるがわる付き添ってくれたんですけども)とは機内前方のビジネスクラスに移動しまして、一番先に飛行機を降りることになりました。別扱いですね。なんかおおごとになってしまったようで、正直に言うと、ちょっと後悔したんです。やはり無理してでも歩けばよかったかと思いました。いつも人についてもらわなくてはいけないことも、すまないような気がします。皆さん、気軽に(車椅子を)押してくれるんですけども、だからよけいにすまないような気がします。それに短い距離なら歩けるというか、自分で歩いた方が楽ってこともあるわけです。たとえばトイレとか。車椅子だと、黙ってトイレにたつということもできないですし。

おおごとになってしまって、これでは車椅子から降りられなくなるのでは、自分で歩くと言うと悪いような気さえしてきまして。

そんなわたしの気持ちとは別に、周囲はどんどん進んで行きます。なにか団員の間で相談があったらしく、わたしの車椅子を誰が押すか、当番が決められたようで、朝ホテルの部屋に誰かが迎えにきてくれるようになりました。
出発前にかなり歩くのではないかと思っていたとおり、実際に街中を歩くことが多かったので、車椅子は正解だったんですけども。
やはり、トイレは気まずかったですね。入り口前まで車椅子で行って、そこで降りてスタスタ歩いてすませて、でまたスタスタ歩いて帰ってくると車椅子に乗る。団員はわかってますから気にしませんけども、他の人がどうも見ている。また、わたしもそんな気がして気になるのです。トイレで一緒になった人がたまたま研修の講師だったこともありました。その人はトイレで立って歩いているわたしの姿を見ていたのですから、研修の際、車椅子に座っているわたしを見て、ちょっと怪訝な顔をされました。わたしはこうニコッと、力なく笑うだけでした。
動物園でコアラと写真を撮ったときもそうでした。園内は広いから車椅子で移動していましたが、「コアラと写真」のときには立つわけです。なんだか都合が良過ぎるような気がします。

団員も添乗員も親切だし、自分の足で歩けそうな距離を歩く機会はそうはなかったしということで、結局ブリスベン国際空港で予感したとおり、車椅子から降りられないまま松江に帰ってきました。Sホテルに預けてあった自分の車に乗ったとき、無事帰国できた安心感もありましたが、自分の足で歩き、運転できることがとても嬉しかったですね。

それと、もうひとつ実際に車椅子に乗ってみてわかったことがあります。よく聞いていたことなのですが、車椅子に乗っている人の意思を介助者に聞くということですね。「どちらへ行かれますか」という言葉が、わたしの頭上で交わされるんですね。わたしに聞かずに、付き添っている人に聞く。友人に何人も車椅子使用者がいますが、彼らからいつも聞いていたことでした。実際に乗ってみてわかりました。わたしの意思は尊重されないのかなんて思ってしまったり。
実際に乗ってみてわかることも多いわけです。

3.どっちつかずは見えにくいか

わたしは現在『軽度障害ネットワーク』というインターネットによるセルフヘルプグループに所属しています。このグループの運営スタッフでもあります。

障害者と聞くとたいていの方は常時車椅子に乗って生活する人、白杖を持って歩く目の見えない人といった重度障害者を想像されるのではないかと思います。一見して違いがわかる重度障害者が『障害者』なのではないでしょうか?

代表的な例が乙武さんだったりします。あの人はすごいインパクトを与える。あれだけの障害かかえていて、なのにとても爽やかに見えます。だいたい、ルックスがいい。絵になる。かっこいい、ですよね。本もだしている。わたしは翼に乗りましたが、彼は外国にも何度も行っている。わたしは県が用意してくれた車椅子でしたが、彼のあの電動車椅子はほとんど空かける車椅子と呼んでいいくらい、魔法の絨毯のようなものです。 健常者以上に飛びまわり活躍する彼ですが、でも、彼は特殊な例なんですね。経済力があった。お金があるからできたことが多いと思うんです。年金で暮している多くの障害者には考えられないことです。

しかし、彼にだってバリアーは確実にある。彼は書きませんし、言いませんが、彼の身体の状態ではたぶん下の方のことはできないでしょう。誰かのお世話にならないといけない。お風呂なんかもそうでしょうね。ときには全くの他人の前に自分の最もプライベートな部分をさらけだすというのは、やはり抵抗もあるのではないでしょうか。最近は結婚もされているようですから、そんな心配はいらないのかもしれませんが、障害があるということは、そういう困難を抱え込む、それが生活になっているということなのです。

でも、困難さはさまざまです。障害者といってもさまざまなのですね。『全くの健常者』でもない『障害者だから』とも言いにくい、「どっちつかず」。そういう感覚で生きている障害者がいます。

いくつか体験談を紹介しますと。

たとえば元弱視の人の場合。この人は、いまはほとんど全盲に近いのですが。

軽度の頃といまと、どっちがしんどいか?、というとどちらとも言えない部分があります。いまは、本をすぐには読めない。点字、テープ、スキャナ、どの方法をとるにせよ、なんらかの作業が必要です。この点では、弱視の頃とくらべ、不便になったといえるでしょう。
ただ、楽になった点もあります。たとえば、切符を買おうとするとき。当時の視力でも高い場所にある料金表は見えませんでした。そこで、人に訊くこととなるわけですが、怪訝な顔をされるんです。一見、障害者であることが分からないから。「ぼく、目がわるいもんで…」と説明するんですが、そうすると何人かにひとりくらいの割合で「メガネかけろ」と言われたりする。怒られたりするわけです。見えなかったらメガネかけたら見えるというのが一般の認識なんですね。聞いても答えが返ってこないことがあった。
いまは、声をかけやすくなったし、人も手を貸してくれる。白杖をついてるぼくに対しては、誰も「メガネかけろ!」とは言わない(笑)。

軽度障害者の典型みたいな話なんですが。彼が言っている一般の認識、見えなかったら眼鏡をかければいいじゃないかという、わたしもこんな認識もっていました。彼の話を聞いて、よくわかったんですね。眼鏡で視力を矯正できない、そういう人もいるわけです。
白杖つく重度になったら切符買えるんだけど、弱視という軽度だと切符買えない。かつ叱られる。なんでやねん? こういう不思議は、あちこちにあるのだと思います。

エネルギー代謝の病気の人とその奥さん。
昨年11月、軽度障害ネットワークのシンポジウムに参加されたときのお話です。

自分はエネルギー代謝異常の病気で疲れやすいので、3ヶ月前に車椅子を買いました。体調の悪いとき、遠出のとき、疲れたときに使うんです。
昨日、神戸の方にくるとき、車椅子を使ってきたんです。車椅子は、それまで使ったことがなくて、駅で「車椅子です」といっただけで、神戸までの路線に、「車椅子の人が乗る」という連絡がいってしまいました。自分は歩けますので、外見は普通の健常者です。車椅子を使うときは、障害者のふりをして座ったままでいないといけないというのがとてもきつかったです。
(奥さん)
車椅子に乗るようになったら、車椅子を見ただけで「障害者」ってみんなが見るんですね。だから本人ができることでも、みんなやってくれるんです。今日はずっと新幹線に乗ってきたんですけど、彼は一度も車椅子から降りずに、ずっと誘導してくれて、普段は立って歩けるのですが、ずっと座りっぱなしで疲れてしまって、時々立つんですね。
周囲の人たちには「エー?車椅子に乗ってるのに何で立てるの?」と思われてしまうんですよ。「私たち(駅員)は仕事の時間内にわざわざ1人配置をへらされて、やっているのに、車椅子から降りられるんだったら、私たちが来る必要がないんじゃないか」という顔を(駅員に)されるので、(私たちは)我慢してずっと座ってるんですよ。ほんとは座りっぱなしがすごく苦痛で、時々立って、背を伸ばしたりとかしたいんだけれども、それができないのがすごいつらいんです。
今日の帰りの新幹線は障害者席を予約させられました。きたときは、自由席できたんですけど、「帰りは指定席を予約して下さい」と新神戸駅でいわれて、迷惑をかけるかなと思って、予約してきたんですけど、そのときも最初から最後まで全部やってくれて、多分彼は家に帰るまで1回も車椅子から立てないだろうなと思いながら、短期間でこういう経験をしました。

なんだか泣き笑いになってしまうのですが、社会の常識はどちらの場合も本人にとってしんどいものです。まったく見えない、まったく歩けないならかえって不快な目にあわなくてすんだかもしれません。後者のケースは、わたしのオーストラリア体験と重なるのですが、違うのは周囲の理解ですね。わたしの場合は団員も添乗員もわたしの状態を理解してくれていましたし、外国だから人の視線がそこまで気にならない。気まずさがあるにしたって、スタスタ歩いてトイレにいける。

それにオーストラリアで車椅子に乗っても、注目されたなって感じは残ってないのですね。むしろ、大阪に帰ってきてから、ホテルでえらい注目浴びてるなって気がしました。これ言うと、なんだかかぶれてるんじゃないの?なんて言われそうですが。でも、ホテルで「お手伝いすることはありませんか?」と聞かれる頻度大阪の方が高かったように思います。まあ、短期間のことですので、この体験だけでオーストラリアと日本じゃ車椅子への理解が違うなんて言えませんし、そんなつもりではありません。

彼との比較の話でした。で、彼の場合、彼自身と奥さんしか彼の状態を理解できていないわけです。そんな中で感じるプレッシャーは、そうとうなものだったろうと思います。伸びをするために腕をあげただけでも注目の的になっていたのではなどと想像します。これは、しんどいですね。

盲聾者、見えない、聞こえない障害を抱えている人をそう呼びますが、盲聾者で東京大学の先生がいらっしゃいますね。よくテレビなんかにも出ておられますから、ご存知の方も多いかと思います。福島智先生ですね。で、福島先生の場合は指文字で会話されます。詳しくはわからないのですが、通訳者がこう指で先生の手を叩く感じで周囲の会話を伝えていきます。

先日テレビに出てらっしゃるのを父が見ていて、そのときの通訳者は女性だったのですが、あの女性は奥さんかと聞いたのですね。福島先生は結婚されていますが、そのときの通訳者が奥さんなのかどうかはわかりません。奥さんかもしれないけど、ボランティアかもしれない。だって奥さんだけで四六時中通訳者勤めるわけにはいかないじゃないと答えると、父はすごく驚いたんです。

案外わたしの父のように感じられる人も多いかもしれません。障害者の介助は身内がやるものという意識が、まだまだありますね。特に、夫婦で、まあそれも男性の方が障害者で健常者の女性と結婚していると、その女性が介助して当たり前という意識が残っていますよね。そのへんは女性差別の問題にからんでくるわけですが…。そこをおいておくとしても、まあ夫婦なんだから、一方がもう一方の面倒みて当然だろうと無意識のうちに思っているわけです。
でも、そんな福島先生の奥さんにしたって、日常生活ならともかく、活躍される先生ですからいつもいつも奥さんひとりが通訳者になるわけにはいきませんよね。先生の本のなかにもその話はでてきますが、ボランティアをたくさんつけることが必要なわけです。大学が秘書をつけてもくれるでしょうし。

盲聾というようなたいへん重度の障害者ですと、そういうボランティアとかお金を払っての介助者なんかが必要ですね。重度の脳性麻痺のような人達もやはり必要なんだと思います。

でも、ボランティアや介助者の必要などなさそうな人と比較して、重度の人の方がたいへんなのかというと、一概にそうだとは言えないように思うんですね。 内部疾患の人、血友病とかペースメーカー使っている人とか。それに障害と認識されていない人だっています。ユニークフェイス(顔に痣や火傷の跡がある人達)それに吃音の人達。それぞれが重度障害者といわれる人達とは違ったしんどさを抱えています。

ペースメーカー使っている人で、一見屈強そうな男性だったとしたら、電車の中で座ることができません。しんどくて座りたくても、周囲の視線が許してくれなさそうに思えるからです。わたしにしても、いまは杖がありますから、電車に乗るときには堂々とシルバーシートにだって座れますが、以前は座りたいけど座っていいのか、どう見られるかを気にして座れないことも多かったです。

もうひとつエピソードなんですけども。先日(たまたまその日は休日でしたが)、Iプラザに行く用事があったんですね。休日ですと、あそこの駐車場は混み合います。隣にある県合同庁舎の駐車場を使ってもいいことになっていますが、その日は天候も悪かったし、足の調子がいまひとつだったのでできるだけ歩かなくていいように、Iプラザの駐車場に停めたかったんですね。
車椅子用だけがふたつばかり空いていたんです。で、警備員さんに足が悪いのでと説明し、許可をもらって停めようとしたのですが。50代後半と見られる男性が車の窓ガラスをたたくんですよ。ここは障害者専用だと言う。杖で歩くこと、警備員に許可とったこと説明しました。車から離れてくれたと思って、バックで駐車しようとしたら、バックミラーにおじさんの顔がアップで写ってる。つまり車の後ろに回っていたんです。運転される方はわかると思いますけど、なんて危ないことをするんだと思いまして。
で、なぜ優先マークを申請しないのか、下肢が不自由であれば車椅子でなくとも優先マークをくれるのだとおっしゃる。こんなとこでもめてもしようがないから、現在申請中であると言いました。ほんとうに申請中なのですし。でもわかると思いますけど、この段階でもかなり煮詰まってはいました。
説明を聞いたおじさんはちょっとバツの悪そうな顔で笑いながら、「ご苦労さん」と言いました。わたしは黙って駐車しました。なにが「ご苦労さん」なんでしょう…? ハラワタの中は、ご想像にお任せます。
「ポリ系オヤジ」。そう呼んでいますけども。オヤジの正義感が薄気味悪かったです。でも、オヤジでなくともこういう反応をみせる人は多いし、いや、ここまで極端でなくとも、心していないと、ついやってしまいがちではあると思います。正義感を楯に、あなたに正当な理由はあるのか?って。

シルバーシートに座る正当な理由は杖が証明してくれますが、障害者用駐車場に車を停める正当な理由はまだ、証明できるものがない。そういう状態にあって、でもしんどいとき、正当な理由を証明できなければ権利がないかのように思わされるのは、やはり、そりゃないだろって思います。

見えない人(盲人)と見えにくい人(弱視)についてもそうですね。全盲のための点字表示は語られても、弱視のための拡大文字は、語られません。駅の料金表にしたってそうなのです。同じ料金払って乗るのですけど。こういう例見てると、制度に不備があると思うのですが、そこはおいていかれる。あくまで点字表示で、点字表示があるからいいじゃないか、になっています。わたし達もそれで納得して、それ以上考えていないのではないでしょうか。点字、盲導犬に優しい視線が、弱視の人に対しては「甘えないで眼鏡かけろ」という厳しい視線となってはねかえってくるなんて、淋しい気がします。

車椅子の人と話すときには目線の高さに注意を払わなくてはと思っても、吃音者、ユニークフェイスの人達の生き苦しさに思いをめぐらす人は、まだまだ少ないのではないでしょうか?

きょう足を運んでくださった皆さんには、できればこのあたりのことを感じていただいて、見えないところで悪戦苦闘する障害者もいる、目に見えてしんどそうな重度障害者と一見そうではないけど実は日常生活のあれこれの場面で落差感じてたり、引け目感じざるを得ない人達もいる。どちらが困難ともいえないということを考えるきっかけにしてもらえればと思っています。バリアーは段差ではありません。社会の中に潜む意識の中にこそバリアーがあるのだということをお伝えしたいのです。

わたしも、いまは翼に乗った10月より足の調子が悪くなっていまして、車椅子が必要になりました。自分の車椅子を持てるように申請しているところです。かといって、常時車椅子に乗って生活するわけではありません。ですから自分の車椅子をもつと、たぶんオーストラリアで経験したより、滑稽だったり、気まずかったりする場面にであうだろうと思います。戸惑ったり、怒ったり、うっとおしいことにも、滑稽なことにも、たくさん出会いそうです。
ですが、わたしはそんな出会いを楽しみにするようになりました。たぶんそこから、社会の滑稽さも、ではどうしていけばいいのかという視点も見えてきそうな気がするのです。

松江市男女共同参画センター第一回土曜サロン
(2003年5月10日)

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